海外における国産メーカー車の高い評価

日本車は世界中で評価が高く、北米ではカムリやアコードの大ヒット。アジアで人気のあまりハイエースの盗難が相次いでいます。
ページ
トップ

絶対の信頼!日本車の海外評価

このコーナーでは、おすすめ中古車や値崩れしている穴車種を紹介して来ましたが今回は世界中から高い評価を得ている日本車の真価や世界的なシェアをお話します。

国内にいるとついついブランド力のあるドイツ車や派手なイタリア車、国産とは正反対なイメージを持つアメリカ車などに興味が行きがちですが日本人の誠実さや製品に対する意識の高さが凝縮された国産車を忘れてはいけません。

評価の高い日本車

国外での販売台数や歴史的事象などから日本車の魅力をお伝えしたいと思います。

日本車の魅力

さて、日本車が世界中で高く評価されているのは承知の事実ですね。
ではどのような点が世界基準で評価され、今後どのような戦略が求められているのでしょうか。
走行距離100万キロもざらなロンドンタクシーから過酷な戦場まで世界中、さまざまなシチュエーションで採用される日本車。

タクシーから戦場まで活躍する日本車

日本の高度成長やバブル期の繁栄を象徴する自動車産業は、他国の車作りに比べて非常に品質が高いと賞賛されてきました。
長期間使用でも故障が少なく、安定した交通の足として利用できるのが日本車ということです。

高度成長とバブル

アメリカにおいても80年代から90年代にかけて日本車が飛ぶように売れ「貿易摩擦」という今でも教科書に載るような現象に発展しました。

貿易摩擦を起こした日本車

国境を跨いで若者に愛されたホンダ車

シビックとアコード

いち早くUS市場に手を出したホンダはアコード・シビックなどで全米を席巻させました。
ホンダ車は故障率や燃費だけでなく

レッドゾーンを飛び越え、ブラックゾーンまで吹け上がる可変バルブエンジン「VTEC」
車線変更で僅かな隙間に切り込むクイックなハンドリングとコンパクトボディ

などこれまでのアメ車とは一味違う魅力が若者達を虜にしました。

若者に好かれたVTECエンジン

その象徴とも言える文化が「スポコン」ですね。
スポーツコンパクトの略称であるように、コンパクトで安価かつ高性能な日本車をベースに、カリカリのエンジンチューンとド派手なドレスアップ、アンダーネオンなどの電飾で飾ったカスタムカージャンルです。

スポコンカスタムは1990年代末期ごろから日本でも広がり初めました。
ピークは2000年代前半。
この頃、カスタムカーが集結することで有名な大黒パーキングなどはネオンを身にまとった国産スポーツカーで埋め尽くされていたのを記憶しています。

スポコン文化

その火付けに一役かったのが、2001年公開「ワイルド・スピード」です。
2015年4月に7作目が公開されることや主演ポール・ウォーカー氏の交通事故でも話題になっている本シリーズですが、第一作は3台のホンダ_シビッククーペ(EJ1)がトレーラーを襲撃するシーンから始まります。

ワイルド・スピードで登場したシビッククーペ

ここで登場したシビッククーペは国内でも1万台程が販売されていましたが、当時10年落ちの車でも100万円以上の査定が付くなど圧倒的な人気を誇りました。

セダン市場に切り込んだトヨタ

ホンダのアコード・シビックと同様にトヨタもカローラやカムリで着実にアメリカ市場を開拓していました。
1989年、日本の技術力を知らしめるキッカケとなる車種が北米市場で発売されました。

「レクサス_LS」

成功をおさめたレクサス

いまでこそ国内展開しているレクサスですが、全てはこの初代LSが原点です。
LSは当時キャデラック・リンカーンなどに占領されていたアメリカ高級車市場に真っ向から立向いました。

キャデラックに立ち向かったレクサス

セールスポイントの1つとなっていたのが「静寂性」
私自身も当時同車(日本名=セルシオ)を運転した際のことを鮮明に覚えています。

運転席に乗り込む際のドアの重厚感
閉じた瞬間気圧の変化すら感じる密閉感
エンジンは「本当にかかてるの?」と不安になり、二度キーを回してしまうほどの静けさ
高速度域からのハードブレーキも靭やかに受け止めるエアーサスペンション
全開加速では仄かに聞こえてくるV8サウンドで気がつけばリミッター・・・

あえて比喩するならば「魔法の絨毯」とでも言いましょうか。そういう次元で別格な車でした。
もちろんLSが北米市場で大ヒットを記録したことは言うまでもありませんね。

アジア圏の需要

海外で人気のハイエースとランクル

欧米だけでなくアジアにおいても日本車、特にトヨタ車に対する信仰は高くアジア地域の新興国やロシアなどでも日本の高品質な中古車が好まれています。

オーストラリアではイギリス_ランドローバー社のSUVが高いシェアをもっていたのにも関わらず、トヨタのランドクルーザーが輸入されると根こそぎそのシェアを奪っていったという伝説があります。
この過剰な日本車人気に影響され、最近でもトヨタのライトバンであるハイエースは盗難や違法輸出のターゲットにもなっていることが問題視されています。
世界向けの販売台数を見てもこの30年ほどで激増していることがわかり、着実に世界のシェアを獲得していったことがわかります。

トヨタが1975年に世界販売台数として記録に残っているのは約90万台ほどですが、1990年には200万台を突破し、2005年には500万台を突破しています。
日本市場においては1990年には国内販売台数が250万台程度に対し、2000年代に入ると200万台を超えることはなく、ゆるやかに下降し続けその後は150万台以下に推移しています。

若者の車離れと言われますが、国内市場は確実に縮小していることがわかります。
中国などの新興国の市場にナーバスになる理由もここにあるのでしょう。
この意味でもこれからの日本の自動車メーカーは世界市場に向けてより明確な戦略を持たなくてはなりません。

トヨタがアメリカの高級車市場を攻略するために生み出した事業ブランド「レクサス」の例など、確実に市場のニーズを掴み、正確なマーケティングをしていくことが求められます。
その意味でこれまで評価されてきた日本車の安全神話や品質の高さを踏襲しながらも新たなブランドづくり、クルマづくりが求められはじめているのかもしれません。

昨今、欧州車の後追い感が否めない国産車ですが、中には日産_GTRやマツダのスカイアクティブエンジンなど世界中で絶賛される車を生み出し続けています。
日本は本気になれば世界中をアッと言わせ、欧州メーカーを出し抜く素晴らしい自動車が作れる国であり、そのための技術者・開発環境・資金にも恵まれています。

マツダデミオと日産GTRの発表会

戦後経済を支え、世界における日本の立ち位置を確立させた自動車産業だからこそ、これからもその真価を見せつけてほしいと願っています。